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『10年後 2035年8月20日』

クアラルンプール国際空港の国際線の出発ゲートで、ハリドは自分の呼吸が普段より少しだけ速くなっていることに気づいた。搭乗券に印字された「Haneda」の文字を指先でなぞりながら、これがただの移動ではなく、何か大きな始まりの儀式であるように感じていた。


彼の脳裏には、恩師ファリザルの言葉が幾度も甦っていた。

"日本で生まれたOgawa methodを学んでこい。”
 

Ogawa法。



あの言葉を口にすると、ファリザルの穏やかな笑顔が浮かんだ。

 

ファリザルは10年前、日本の大学に留学し、水電解セルの作り方をOgawaという名の研究者から学んだのだという。ファリザルは深い敬意を込めて、その方法を「Ogawa法」と呼び、マレーシアの研究室に持ち帰り、いまではマレーシア国内では誰もが知る標準的な水電解セル作製法となった。​ハリドが水素エネルギーの研究を志したのも、このOgawa法が始まりだった。

ゲートのアナウンスが流れ、羽田行きの搭乗が始まる。

エコノミー席に腰を下ろし、窓の外を見た。夕暮れが空港を覆い、滑走路の照明が星のように灯る。機内はまだざわめきが残っていて、荷物を棚に収める音やシートベルトの金具が触れ合う金属音が微かに響いていた。

やがて、キャビンアテンダントの声に続いて、機長のアナウンスが流れた。
「本日のフライト、機長を務めますのは、Ogawaでございます。」

ハリドは一瞬、鼓動が跳ねるのを感じた。


――Ogawa?

あのOgawaだろうか。

今Ogawaはパイロットとして、世界中を駆け回っているとファリザルから聞いていた。
いや、そんな偶然があるはずがない、と彼は思った。
だが「Ogawa」という音は、ファリザルの言葉と研究室の風景を鮮やかに呼び覚ました。

偶然かもしれない。
それでも、何かがこの旅の行く先を祝福しているような気がした。
機体が滑走路に向けてゆっくり動き出すと、ハリドの心も前へと押し出される。

飛行機は雲の上に出た。眼下には、月の光を受けて銀色に輝く雲海が広がっている。ハリドはそっと窓に額を寄せ、暗い空の向こうに、日本の夜景を想像した。

機長Ogawaの声が再び機内に流れ、穏やかな調子で目的地までの飛行予定を告げていた。
ハリドは口元に微かな笑みを浮かべ、再び窓の外を見つめた。

 

空は、彼の未来そのもののように広がっていた。

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こんな未来が、起こるかもね。西原

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